今日のひとり言
友達とのしょうもない話から
昨日、友達としょうもない話をしていた。
その友達、もうすっかり髪の毛がなくなっていて、つるっとした頭になっている。人のことは言えなくて、こちらも年齢とともに毛量は減ってきているし、前線はじわじわ後退中。鏡を見るたびに気にはなるもの、気にしたところで増えてくれるものでもない。そんなことはさておき…。
友達が言うには、山を歩いていて木の枝がちょっと頭に当たっただけで、肌がピッと切れるらしい。思わず笑ってしまったが、考えてみれば確かに危ない。髪の毛というのは、頭を守るクッションのような存在で、大切な部分を守るために生えているわけだ。それがなくなると、本来身体のなかでいちばん守ってほしいはずの頭が無防備になる。歳を取るとこういう小さな危険も積み重なってくるのだ。
髪がなくなるのは寿命なのか
さらに友達の持論はこうだ。「髪がなくなったら、それは神様が“もう寿命だ、好きにしていい”と言っているようなものだ」と。笑える話ではあるが、いやいやそんなにはやく死ねといわれても困る。
そもそも今は人生100年時代ともいわれていて、少子高齢化の影響もあって、働き手の確保が重要な課題になっている。国も「高齢者もできるだけ長く働いてほしい」と考えている。髪がない=もう終わり、では社会の流れに合わない。年齢を重ねても元気で活動的でいることは大切なのだ。

髪の毛義務化という発想
ならば、すこし荒唐無稽に聞こえるかもしれないが、髪の毛の義務化という発想も面白い。
現実に髪がないことで、頭を怪我するリスクは確かにある。バイクに乗るならヘルメット、車ならエアバッグ。こうした安全装備と同じように、歩行時の転倒や小さな衝撃から頭を守る手立てがあってもいいのではないか。髪の毛を「安全装備」として考えるのだ。
つまり、薄毛やハゲになった人にはウィッグの着用を義務化する。隠すためではなく、頭を守るための装備としての「かつら」の位置づけ。さらに保険適用にすれば、「ハゲを隠すためにかぶる」のではなく、「安全のためにかぶる」と胸を張って言える。医療安全器具としてカツラを使う、そんな時代が来てもいいのではないか(笑)
社会参加につながる可能性
この考え方には、もう一つ大きな意味がある。見た目の若々しさは気持ちにも影響する。髪の毛がが寂しくなってくると、どうしても消極的になりがちだが、カツラを装着することで自信を取り戻せる…かもしれない。
自信を取り戻せば、社会参加や地域活動にも積極的になれる。些細なことかもしれないが、積み重なれば地域の活性化や高齢者の労働力増加にもつながる。安全と健康、そして社会参加の三つを同時に手に入れる手段として、髪の毛の保護やカツラ活用は意外といい案なのではないのか。いや無理筋なのはわかっているけれども(笑)
数字で見ても無視できない。日本の総人口が1億2千万人だとして日本の男性は約6,000万人。その半分が40歳以上とすると3,000万人。そのうち4割が薄毛に悩んでいるとすれば1,200万人。人口の1割にあたる。これは政策や社会の関心事としても軽視できない数字だ。
選挙公約になったら
さらに飛躍して、これを選挙公約に掲げるとどうなるだろう。
「わが党は頭を守るためにカツラを保険適用にします」
こう打ち出せば、1,200万人から強い支持を得られるかもしれない。議席の増加につながる可能性もある。もちろん荒唐無稽な話だが、考え方としては面白い。頭を守ることを真剣に考えれば、意外と社会的意義も大きいのではないかと思う。
どうだろう。無理があるか。いや、考えてみる価値はある気もする。いや、ないか(笑)
定年主夫の晩ごはん日記
昨日は高野豆腐の煮物ときゅうりの中華風浅漬け、大根の千枚漬けを作った。高野豆腐は130g入を一気に使ったら量が多すぎて、タッパー2つに分けて冷蔵庫に入れている。大根の千枚漬けは、塩加減を間違ってしまって、かなり塩分強め。横着に作るとろくなコトがない。

今日の晩ごはん
今日はサンマが安かったのでまたまた秋刀魚の梅煮。味付けは完璧だった…はずが、日にかけたまま忘れていて焦がしてしまう手前だった。あぶないあぶない。付け合せを用意していなかったのであっさり見た目で、あんまり美味しそうじゃない。あともうひとつは冷蔵庫の余り物、豚バラと舞茸で作った中華風炒め物。色は茶色っぽくて地味だけど味は美味。
