佐々木朗希選手に関する報道の掌返し

定年男子のひとり言

今日のひとり言

ドジャースとフィリーズのディビジョンシリーズで佐々木朗希が大活躍を見せている。
今シリーズは大谷翔平の調子が今ひとつということもあり、日本の報道は一斉に佐々木朗希を“新たなヒーロー”として取り上げている。海外メディアでも救世主扱いで取り上げられ、彼の名前は一気に世界中に広まった。

ロッテ時代から続く誤解と批判

思えば、ロッテ時代の佐々木朗希は少し違う立ち位置にいた。
能力の高さは誰もが認めながらも、「わがまま」「甘やかされている」といったレッテルが常につきまとっていた。少し不調があるとすぐ休む、1年を通して投げ切らない、球団への貢献がないのにメジャーに行く――そんな批判が繰り返された。

ドジャースに移籍してからも、肩の違和感(インピンジメント症候群)で登板を控えた期間があり、その間も「また休むのか」という声が飛び交っていた。

けれども、そもそもそれらの批判は妥当だったのだろうか。


痛みや苦しみは他人には見えない

人の痛みや悩みというのは、本人にしか分からないものだ。
外から見て「普通なら我慢できるはず」と決めつけること自体、傲慢な話だと思う。たとえばうつ病の人に向かって「気持ちの問題だ」「誰でもつらいことはある」と言うのは簡単だが、その苦しみの深さは経験した者でなければ到底わからない。

ぼく自身、うつ病というものをいまだに完全には理解できていない。
心の病なのか、脳や体の仕組みに起因するものなのか。原因が目に見えないぶん、つい「気の持ちようだ」と思ってしまいがちだ。でも、どんな理由であれ、本人が感じるつらさや痛みを他人が軽く扱うのは違う。

お腹が痛い、頭が痛いといった身体の痛みですら、他人にはその度合いを測ることはできない。
「そのくらいで仕事を休むな」と言っても、痛いものは痛い。心の痛みも同じだ。
ましてやプレッシャーと重圧のなかで投げるプロ野球選手にとって、その“痛み”は身体の不調だけでなく、精神的な負担も含まれているはずだ。


メディアの責任と世間の手のひら

佐々木朗希が日本にいたころから受け続けた批判の数々。
それを背負いながら23歳の若さでアメリカへ渡り、結果を出した。
彼の活躍をきっかけに手のひらを返したように称賛する報道を見ると、なんとも言えない気持ちになる。もちろん、活躍を素直に喜ぶのは良いことだ。でも、同じメディアが以前どんな言葉を浴びせていたかを思えば、考えさせられるものがある。

今後、同じように批判にさらされる若い選手が出てきた時、
「我慢が足りない」「根性がない」といった言葉がもう少し減ってほしい。
本人にしかわからない痛みや心の問題を、他人の基準で裁くような風潮が少しでも変わればいいと思う。


若き才能へのエール

佐々木朗希のこれからの活躍を、素直に応援したい。
プレッシャーの中で、自分のペースで、自分のリズムで前へ進んでいってほしい。
若い彼の姿は、見る人に多くのことを考えさせてくれる。


定年主夫の晩ごはん日記

常備菜がちょうど品切れになっていたので、。がんばって作った。その数味噌汁も入れてぜんぶで7種類! 今日が頑張ったな!

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